2022年03月23日
考え方のルーツ
いや~、激しかった。11年前のあの日を少し思い起こしてしまうような、猛烈な揺れでした。揺れの強かった地域では今なお断水や停電が続いている様子……。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
非常に珍しいことに、あの日の私は拠点本部におりまして、さてそろそろ寝ようかなと、酒を飲みながらそんなことを考えていたら……最初はデカいトラックでも近くを通ったのかな、と思いました。そこから大きく揺れて、収まった……と安堵したところへの激しい本震。テレビによれば一応震度5強だったらしいのですが、正直なところ座っている床がそのまま下に落ちるのでは、とも少し思いました。もちろんそんなことはなくて、特に何か被害はなかったのは幸いでしたけれど、本当に地震とは怖いものだと改めて。
で、その後に大寒波が襲い来るという。そういえば、3.11の後も3月にしてはだいぶ寒かったですね。何故こう良くないこととは重なって、続けて起こるのか……。災害とは予測するのが難しいことですから、大切なのはやはり日頃の心構えですね。備えあれば憂いなしです。
(特に意味のない画像。色々甘いんだけど、とにかく回らんのよなぁ)
で、今回のような地震があると大体実家から生存確認の連絡があるのですけれどもね。そこで知らされたのは4月より長兄が転勤で実家に帰ってくるという新情報でした。引っ越しはまだのようですが、実家に兄弟が複数住むのなんて何年ぶりだ?? え~っと、次兄が実家を出てからですから……多分28年ぶりですね。そう、その頃は俺もまだ中学生でなぁ、パチンコパチスロなんてまだ……おっと、歳がバレるのでやめよう(今更)
そこで思い出したのが、私的な考え方のルーツのこと。過去コラム『用意周到な男』内で記した「一人で生きていく」という私的基本思想の大元がどこから来ているのかが、この件で少しわかった気がしたのですね。
前にもどこかで書いたような気がしますけれど、ウチの実家とは地域の中でもエラく古い農家でして、具体的にいうと確か親父で十七代目だったかな。寺の記録に元禄年間のものがあることまでは確認していますが、果たしていつからあの辺に住んでいるのかもよく分からない、まぁそんな古めかしい家なのです。
そのため、やはり家を継ぐ跡取りというものが重視されていて、地方の方言でも長男=跡取りのことは「あんちゃ」、長男以外の次男以下のことは「おんちゃ」と呼ばれます。ウチでいえば長兄と次兄は年が近くともそれぞれ「あんちゃ」と「おんちゃ」、次兄と私はいくら年が離れていても両人とも並べて「おんちゃ」。まあ、次兄は長兄に万が一があった場合に「あんちゃ」となる立場ですから、そこと最も遠い私とはまた少し違うのですが、基本としてはそのような感じなのですね。
ただ、一応言っておくとこれは地域でも古めの感覚で、私の両親あたりだと戦後生まれですので、こういった風習にそこまで厳格というわけではありませんでした。厳格だったのは戦前生まれ戦前育ちの祖母で、まあなんと言いますか、ウチは祖母が女帝として君臨している家でしたのでね。戦後どころかバブリーな現代に生まれたはずの私の考え方が古めなのも、おそらく祖母の思想が叩き込まれているからなのかな、と。
「わーがだはおんちゃだんさげ、いーがらではていがねばならねなだぞ」、そして「わーがだはひゃくしょのむごさなるなだ」。これは、私が幼稚園児であったときから祖母よりよく言われていた言葉で、日本語に訳すと「お前たちは長男(跡取り)ではないのだから家から出ていかなければならないのだ」「お前たちは(男手のいない)農家の婿になるのだ」という意味。実際に祖父の弟たち、我々の前世代の「おんちゃ」たちは全員が農家の婿として家を出ていっていましたし、まあ、祖母世代としてはこれが当たり前の感覚なのでしょうね。
そこから時が経ち、祖母も亡くなり、色々と変化があって実家に我々兄弟が一人もいなくなり、紆余曲折を経て次兄が帰ってきて。長兄は結婚もして子供もいましたから、このまま外で暮らして、実家は次兄が継ぐのだろうと私は思っていました。
そこに長兄が帰ってくるという。話をしてみると、どうやら私と同じように長兄にも祖母のあんちゃおんちゃ教育が行き届いていたようで。
この思想が刷り込まれていたがゆえに、おそらく私はとにかく一人で生きていこうとしているのだろうな、と今回思うに至りました。現代の感覚から常識的に考えて、長男以外が実家に住むというのも別におかしいことではなく、両親もそのような感覚で、しかも当コラム読者の皆様であればご存じのように、私と実家との関係とはロクデナシ稼業のわりに良好であると言えます。それでも、仮にこの生活に窮しても実家に帰ろうと思わない、否、思えない。自分は「おんちゃ」なのだから、大人になって外に出たら帰る家は自分で持たなければならない。とにかく死なぬよう、一人で生きていけるようと用意周到になったのは「実家を頼る」という考えが私の頭から抜けているからなのだな、と。
ふふふ、死なぬよう、一人で生きていけるようと考えるのなら、こんな稼業なんてせずにちゃんとした仕事をすればいいのにね。このあたりに、刷り込まれたものや継いだものだけでない、私個人が持つロクデナシ精神がよく表れていますね。ほんっと、ロクデナシって心の底からロクでもねえよな。
当然死なぬためなら何でも打ちます。『SLOTマッピー』を打つならもう少し目押し力はなんとかしないとなぁ。精進、精進。
ということで、また次週。