【パチ・スロクロス】パチンコ・パチスロ解析情報

2021年07月21日

思い出の店の数々

こんにちは。ツケマイてんちょ~です。

 

ネットサーフィン(死後w)をしていると、ひょんな事から見つけた「まにあっく懐パチ・懐スロ」のブログ。90年代の都内各地区のお店がマップとともに掲載されていました。私も21でパチンコ店で働きだす前は「自称専業」として朝から並んでいた時期もあり、結構あちこち並びに行ってました。当時は交換率が低いとはいえ、開店から1時間などのサービスタイムで持ち球遊技が確定すれば、かなり有利に遊べるお店ばかりでした。パチスロはモーニングもあり、いわゆる「激しいヤツ」は千円使い切る頃~2千円目に掛かるリセットモーニングもありました。朝から打ちに行く、というだけで圧倒的なアドバンテージがあり、「激しいヤツ」や「アレパチ系」などはそこから連荘が期待できるという、金は無いけど時間はある学生にも優しい営業のお店が多かったのを思い出します。そんな昔を思い出しながらこのブログを読んでいると「歌舞伎町マップ」に遭遇。今と比較してもお店が多いですね。でもやはり私の歌舞伎町での思い出の店は「モナミ」さんでしたね。当時は地下にニューペガサスがまだあり、それが大人気。中国人プロが並びを仕切っていて、毎日並ぶうちにそのリーダー格の人と仲良く話すようになりました。このモナミ、毎日カウンター側から3台のどこかに設定4を入れており、朝イチ並ぶ人はもちろんリセット狙いで100枚打ち込み台移動の人も居ましたが、半分以上はこの設定4狙いでした。ニューペガサスを打っていた人ならご存知の通り、この機械は設定4が一番BIG1回のメダルでの連荘率が高く、天井が全設定で一番深いという謎の設定です。あ、EMAじゃなくてパル工業、クレジットが無い時代の話ですよ♪

 

 

もともと高校の周辺はファイアーバード7Uが全盛で、アニマルが1軒あり、そのアニマルでも美味しい思いはしていました。しかしニューペガサスは大学に進んでから出会った機種であり、当時はまだ「ネットで解析を見て」なんて時代では無かったので、そのお店の常連との関係性というものは非常に重要視されていた時代です。私もニューペガサスはどちらかと言えばこのモナミの中国人プロに教わった部分と、大学時代のボクシング部の先輩に教わった部分が非常に多く、辞め時が「2千円、4千円、8千円、1万6千円、で3万2千円で天井!突き抜けたら設定4確定」というのを教わったのもこの2人でした。ニューペガサスは休日はこのモナミをメインにたま~にアルタ裏にあったMONACOや渋谷のホワイトバード、学校の日は水道橋みとやでよく打っていましたね。歌舞伎町と言えばやはり日拓。今で言う「エスパス」です。当時好きだったのは「3号店」で地下にアレパチのビッキーチャンスがありました。そして交換率が当時にしては珍しく等価で、一発台も大一のアニバーサリーなど射幸性の高いお店でした。まだパッキーカードに1万円カードがあった頃で、使い終わったカードをガラスに挿してまわりにハマリをアピールするのがお客様同士の習わしだった感じですね。まだスロ専が「ビッグプレイ」とか「ビックポット」なんて呼ばれていた時代ですね。後年お店がエスパスタワーになるなんて全く予測もしなかったころの話です。昔話というのは時系列があやふやになるのですが、この日拓3号店でスペーススペクターやスペースバトルが設置されていた頃、私はなんとアイドルグループ「ribbon」の永作博美の隣で打ったことがあるんですよね。マネージャーか彼氏かわかりませんが、ツレの男とキャッキャしながら打っていました(笑)

 

その後歌舞伎町は宇宙センターのドリームセブンJrとか、日拓が何故かコンチネンタルを撤去してアポロンを入れたりとか、日拓本店のアポロン1台が桜の代紋の方々に押収されてベニヤ板が貼ってあったとか、とにかく歌舞伎町のお店、色々ありましたね。歌舞伎町が等価交換の波にのまれていく中で、突然現れたのが「エルニド本店」です。まわりが等価交換主流の中、7.6枚交換だったかな?物凄い低交換率でオープンしましたが、出玉のほうが物凄く一気に人気になりました。このお店の影響か、私のメインホールだったモナミも等価交換へシフトし、以前のようにニューペガサスは出玉が出なくなりました。靖国通り沿いのゲームセンター「スターダスト」は「スターダストネオ」という店名のホールになっていましたね。このお店にも思い出があり、当時の彼女と午後からディズニーランドに行く予定でアルタ前に12時待ち合わせ、なのに私が10時の開店からこの「スターダストネオ」でEMAのカリオカを打ちはじめ、リセットモーニングから出っ放しになってしまい、見事に私はパチスロを選び大喧嘩になるという経験をしたお店です。こうやって昔のパチンコ店MAPを見ていると、当時の事を色々思い出しますね。まだこの頃には「スーパーエニィ」もありました。コンビニなんか太刀打ち出来ない品ぞろえの24時間スーパーでしたね。風鈴会館の向かいにあった、寿司ネタの名前が源氏名のオッパブに行ったのもその頃でしたかね?と、余計な事ばかり昔のパチンコ店MAPを見ると、思い出してしまいますね。そんな感じでしばらくの間は「アニマル、ペガサス、ファイアーバード」という感じでその他はいわゆる「裏モノ」が好きな青年でした(笑)裏モノで思い出しましたが、今は無い店なので裏モノでも名前を出しますが、コマの映画館の所に合った「オデオン」ここで極悪な奴に出会いました。

 

 

興進産業のリッチマンですね。サミーさんのスーパーヘビーメタルの兄弟機で、昔は兄弟機と呼ばれ、絵柄は違えどリール配列も同じなんて機械が多く、ドリームセブンJrとマジカルベンハーとかありましたね。このオデオンのリッチマン、打ち始めたのですが何も揃わない……。7千円使ってリプレイ2回しか揃わないので怖くなって打つのを止めたのを思い出しました。ちなみに兄弟機のスーパーヘビーメタル、某社直営店のてんと●虫というスロット専門店でも変身していましたが、私の店はなんと都内唯一と思われるノーマル機でした。もちろんノーマルでは人気が出なかったですけどね。新宿では歌舞伎町よりも新宿3丁目のほうにあった某店で裏モノを打つことが多かったですね。寄席の隣にまだアニマルあったし(笑)こんな感じで昔のパチンコ店MAPを見ると本当に色んな事を思い出しますね。もっと歌舞伎町ネタは多数あるのですが、パチスロクロスさんを困らせる内容だとマズいので、面白いネタは伏せておきます。話題は変わりますがYouTubeの「パチ屋の裏研修」さん、店長さんの業界ネタは私からしても「よくこんなマイナーネタ知ってるなぁ」なんて思う事が多く、楽しんでいます。「パチスロクロスチャンネル」も面白い新番組欲しいですね。昔話ネタなら、放送出来るかは別にして、私もネタの宝庫、パチンコ業界の東スポを自称していますからね(笑)あるブログを見つけて色々思い出した話でした。

 

それではまた来週!

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