【パチ・スロクロス】パチンコ・パチスロ解析情報

2019年10月25日

JOKER

JOKERはとても危険な映画だ。

 

見ているものは知らず知らずのうちに、ヴィラン(悪役)である彼のことを、悲しみを背負った声なきもの達の代弁者として見てしまい、その様はまるで彼の宿敵……いや一方的な友人でもあるバットマンかのようにも見える。

 

これはとても危険だ。

 

JOKERには目的がない。ただし(彼にとっての)正義はある。その正義に従いJOKERは「お前らは全員、俺と同じド変態だ」ということを大衆に知らしめようとしてくる。善人面した大衆を自由にしてあげようと迫ってくる。その際たるものが、覆面という変態極まりないなものを被り、いわゆる「正義のヒーロー」顔して悪党共を成敗していくバットマンへの妄執であり、世界で唯一自分の裏であり表でもあるバットマンへの愛なのだ。

 

超越的な存在であり、自分とは関係のない所から生まれたであろう、「悪」と呼ばれるJOKERへの共感。彼のことを「分かったつもり」になってしまう事、彼と自分を重ねてしまう事。これこそが、まさにたちの悪いジョークなのではないだろうか。そして、それを見た彼はきっと心の底から笑い転げているのだろう。

 

JOKERは何処にでもいる。

 

何も持たない、何も持っていない「無敵の人」が銃を持てばJOKERになってしまうのかも知れない。俺も君もあなたも、JOKERに近づいた瞬間があったのではないだろうか。少なくとも、俺にはあった。

 

換金所の窓口に設置されている「端玉景品」を捨てるためのボックスから、幾つものお菓子を拾い上げた時、空いているペットボトルに水を詰め持ち帰った時、落ちている財布を探し夜の街を徘徊した時、サクラのバイトで設定6を打ち僅かばかりの金銭を得た時。何かが間違えば、引き金は引かれていたのかもしれない。

 

もしくはウシジマ君に捕まっていたのかも知れない。今だって決してウェイン家の様な富豪でないし、地を這うネズミのような生活ではあるが、それでも俺とウシジマ君の債務者達との違い。俺とJOKERであるアーサーとの違い。

 

これはもう精神論なのではなく、単純明快なものだ。

 

そこにパチンコ屋があったからだ。

 

何をバカな事を、そもそもウシジマ君の債務者達はパチンコ狂い……と思われるかも知れないが、たまたま「スロットでの勝ちかた」を知っていたからこそ、俺は人生の先に進めた。そして、ホールは何も持たないもの俺を拒絶せず、そこに入り浸ることを許容してくれた。心ない人は言う。

 

「パチンコ屋なんてボッタクリだ。血も涙もない。害悪だ。」と。

 

俺は思う。この日本において、パチンコ屋ほど万人に優しく平等な場所はないと。誰でも入れる。どんな奴でも立ち寄れる。容姿も才能もいらねぇ、コネも仲間もいらねぇ、クズだろうと優等生だろうと関係ねぇ。ただただ、黙ってホールは受け入れてくれる。そこで何かを掴む奴もいれば、何かを間違う奴もいる。失くす奴もいれば、得る奴もいて……そのチャンスは常に不平等で平等だ。

 

もしもだ。

 

もしも、ゴッサム(バットマンシリーズの舞台となる街)にパチンコ屋があり、勝ち方さえ分かっていればアーサーはJOKERにならずに踏みとどまれたのではないだろうか。勿論、ホール内で再びJOKERが生まれたのかも知れないが、少なくとも(勝ちさえすれば)貧困と孤独からは抜け出せたはずだ。その先の事なんて、その先で考えればいい。

 

逆に「勝ち方」を知らなければ、JOKERになる事がもっと早まったのかも知れない。そもそも、そこに逃げ込む事ができないからこその「彼」なのだとは思うが……。

 

ホールは何時だって逃げ込む事を許してくれる。「無敵の人」が「人」へと戻る可能性を見せてくれる。人という調理の難しい食材を、男も女も、いい奴もムカつく奴も全てを一緒くたにグツグツと煮込む、闇鍋のような雑多なホールが大好きだ。

 

強い奴が好きだ。弱い奴が好きだ。面白い奴が好きだ。頭のオカシイ奴が好きだ。ダークナイトのJOKERが好きだ。

 

でも、これからはTVの中の「ジョーカー」を見るだけではなく、何も持たない奴こそが、現実の世界で「ジョーカー」となるべきなんだ。現実の世界で打つことさえすれば、ホールは何時だって俺達を救ってくれる。もしくは、後戻りの出来ないドン底まで落としてくれる。

 

努力は必ず報われる。そんなタチの悪いジョークがまかり通る場所は、日本じゃパチンコ屋だけかも知れないぜ。

 

CLOSED BGM

White room / Cream

スポンサーリンク