【パチ・スロクロス】パチンコ・パチスロ解析情報

2018年10月26日

大衆娯楽

ぱちんこ・パチスロは大衆娯楽に回帰すべきだ。

 

6号機時代を向かえ、こういった言い回しを耳にする事も、俺自身が似たようなことを呟くこともあったが、先日「万引き家族」という映画のワンシーン(ぱちんこ店におけるドル箱万引きの描写)を見ていて、ふとこんな事を思った。

 

大衆娯楽としての「ぱちんこ・パチスロ」は果たしてユーザーに求められているのだろうか。

 

先に断っておくけど、これから先そういった「娯楽」や「余暇」としての方向……1人が10万勝つのではなく、10人が1万ずつ勝てるような勝率を重視した営業(だからこその非等価)が大切になってくるのかなとは素人ながらに思うけど、果たしてそれが脳を焼かれた現在の猛者共から求められているのかと言うと、それはまた別の話だからね。

 

これは俺の偏見が多いに入っている意見ではあるけど、お年寄りの「ここは遊ばせてくれんのぉ」「遊べりゃえぇ」というセリフは5割は真実かも知れねぇが、残りは大ウソだ。めちゃめちゃ執着しているぜ、勝つ事だけではなく、サンドにいれた自分のお金を取り戻す事にさ。

 

ぱちんこ・パチスロは投資から始まる遊技なので、金に執着している奴ほどドツボにハマりやすいんだ。

 

そして、求められようとも求められまいとも、そういった「大衆娯楽」と呼ばれる方向に進まなきゃいけないのも事実だと思う。

 

思い起こせば、俺自身にそういった心持での遊技経験が少ない事もあって、言葉の意味は分かるが、どうにもピンとこない。勝つ事こそがパチスロだと思っていた(思っている)もんでさ。大衆娯楽って何??

 

一度に使う金額だけの話なら簡単だが、それだけが本質と言えるほど簡単な事でもないでしょうに。

 

あれか。正村ゲージが大流行したと言われる1952年に上映された小津安二郎監督「お茶漬けの味」や黒澤明監督の「生きる」、はたまた「大当たりパチンコ娘」に描かれていたような様々な人間模様が交差しながらも、決して交わる事のないそれぞれの物語が展開される大人の社交場……それが本来の姿なのだろうか。

 

成程、お年寄りは金に執着しているとは書いたが、社交場として健全な機能をしているお店も確かに存在している。そして、安易な来店取材を行った結果、社交場が崩壊しジャグラー難民となってしまった姿を見かけないでもない。

 

ま、さすがに時代背景が違うので、参考にするのは松本明子主演のドラマ「グッドラック(名作)」程度にはとどめておきたいが、上記した映画「お茶漬けの味」における主人公のこんなセリフが、時代を超えて「ぱちんこ」という遊技の本質をとらえている気がするのは俺だけだろうか。

 

 

つまりなんだな。大勢の中にいながら安直にいまわの際に入れる。

簡単に自分ひとりっきりになれる。そこにあるものは自分と玉だけだ。

世の中の一切のわずらわしさから離れてパチンとやる。玉が自分で自分が玉だ。

純粋の孤独だよ。

そこに魅力があるんだな。幸福の孤独感だ。

 

 

孤独。娯楽としてのパチスロにはピンとこないが、孤独を味わいに行くパチスロには俺も覚えがある。結婚を誓った彼女と別れた時、婆ちゃんの葬式の後に、なーんも考えずにハナビに座り、リールを止めるという慣れ親しんだ繰り返しの中で、自分自身を客観視し脳内をクリーンな状態に戻そうとした、あの時。

 

美味しいパスタを作った大親友の彼女のツレ(家庭的)と喧嘩して、ぱちんこ屋に逃げ込む。そういったものに類似する経験はきっと誰にでもある事だと思う。

 

それが全てとは決して思わないが「孤独」。これこそが、ぱちんこ・パチスロという「大衆娯楽」における重要な原点なのかも知れない。

 

と仮定して考えるとだ。今の台って、それに思いっきり逆行しているよね。

 

例えば最近知り合ったN君は、連チャン中は爆音で回りに聞かせたい、自慢したいというし、有りがちではあるが横の台が出れば機嫌が悪くなり、自分が島スターとなり大箱(今時ないけどね)を使えると上機嫌。

 

一体全体こいつは何と戦っているのだと、呆れながらも数々の暴挙(人のドル箱にゴミを入れたり、蹴っ飛ばしたり)を苦笑いで聞いてはいるが、言うまでもなくこれだと孤独の遊技ではなく、優越感に浸りたいという自己顕示欲の入り混じった、他者との醜い戦争だ。

 

孤独の遊技を楽しめないN君だけが問題なのではなく、自分だけが存在し、そこで完全な円環を作っている精神現実とも言える孤独の世界の中に、雑音として入ってくる他者。つまりは仮想敵を作り競争心と自己顕示欲、はたまた自己嫌悪感を煽る。そんな「遊技機の構造」にも大きな問題があると俺は思う。

 

だって、どう考えても役物と光と音で他者を威嚇してきているじゃん。自分の優秀さを、自分の実力を、10人では無く俺だけが勝ちたいという欲求を。思うままに見せつけてきているじゃん。それこそN君みたいにさ。

 

そういったプレッシャーの中で余暇を楽しむ平常心を持てる人ばかりではないと思う。ま、だからこそノーマルの島が穏やかだったりもするんだろうけどさ。(ジャグラーは魑魅魍魎の集まりだが)

 

賭場ならば他者との勝負を楽しむ側面もあるが、「孤独」を楽しめない状況の中で、孤独が魅力とも言える「大衆娯楽」にどうやって回帰するというのだろうか。射幸心を使ったトランス状態を封じられるであろう、これからの時代。余暇に戻すと言うのであれば、機械の本質を見つめ直すのも今なのではないだろうか。

 

それとも、ギラついた光と音でさらに脳を焼いてくるのか、射幸心云々はホールだけの問題ではなく、競争心や虚栄心からも生まれるものだ。そして、決してそれが「悪」という訳でもない。時にそれは「善」だったりもするから面白いんだ。ただ、行き過ぎた競争心の果ては自らの破滅だろうに。

 

最後に一つ。あまりにも負けがこんでいるN君に、ヴヴヴが〇〇店では上を使っているけど競争率が低いから狙えばいいという情報を伝えたところ、彼が切り替えしてきた内容はこうだ。

 

「ぱちんこ打つのにグダグダと面倒な事を考えたくねぇわ。出りゃえぇが。」

 

……返す言葉もなかったが、これも一つの真言なんだろうなぁ。

 

CLOSED BGM

放課後ディストラクション / やくしまるえつこ

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